植物を見ていると、同じ名前(種名)なのに見た目が違って見える、なんてことがよくあります。
こちら↓はハクサンボウフウという植物。山歩きをしていると見かけるセリの仲間。ニセコにもたくさんあります。
写真は比較的オーソドックス(?)なハクサンボウフウの葉の形で、広卵形で比較的丸みを帯びます。
このハクサンボウフウの葉の切れ込み具合は様々で、深く細く切れ込むと品種レベルで分けて ”キレハ(ノ)ハクサンボウフウ” と言ったり、一部の山域にはさらに細く切れ込むタイプの ”エゾノハクサンボウフウ”(これも品種レベル)などがあったりしますが、種(しゅ)としてはすべて ”ハクサンボウフウ” です。
しかも葉の切れ込み具合(変異)は連続的で、”キレハ…” とするほどではないけども少し切れ込んでいる葉も多く、ハクサンボウフウの ”個性の幅の範疇” と判断するしかない個体も多いのです。
切れ込んでいるように見える個体を見ても、「どこからを深く・細い」と言っていいのか、明確な基準がないのでよく分からんのです。
本州では下の写真のような少し切れ込んでいるハクサンボウフウの方が多い気がするので、こうなるともう何がオーソドックスなのかも分かりません。
こんなタイプも。
だから様々な切れ込み具合のものがあっても、「ハクサンボウフウのいちタイプでしょう。知らんけど」みたいな回答になります。
もしくは、先の写真(二枚目)のような個体では、「キレハノハクサンボウフウというタイプっぽいけど、ハクサンボウフウにしておけばいいんでない?」みたいな一見テキトーな回答の方が実は正しいかもしれません。
このような、(同じ種の中での)「個性の幅」をヤブキ用語的には「ゆらぎ」と呼んでいます。
一部の人(ガイド)に好評なコトバのようで、識別できないものを「ゆらぎだね」なんてエラソーに言って、分かったふうな逃げ口上にも使えます。(冗談として――ですよ)
当然、この「ゆらぎ幅」が広い植物ほど見分けるのが難しい。
目の前のコレとコレが同じ名前の植物なのか、片一方が自分にとって未知の植物なのかよく分からん、なんてことになります。
昔はよく、「どうしてアレとコレが同じ植物だと判断出来るんだ?!」と思ったもので、そんな「モノを見るチカラ」に憧れました。
この ”ゆらぎ” が分かるようになるには、それを見て・検討する数を増やすことだけしかありません。まさに経験値がすべて。
そして、それをひとり闇雲に見続けて検討していてもなかなか分かるようにはなりません。
ごく一部の研究者肌の知り合いにはひとりで見続けて悟りを開くタイプもいますが、私のような凡人には無理。
ひとりで見続けていても、ゆらぎはいつまでもゆらいだままなんです。
やっぱりここでも、人と歩くこと。
人と歩きながら検討し、各々が名前を決めて、その理由を言い合うことが、ゆらぎを克服する一番のテとなります。
個人的には、動植物の名前を即答出来る人よりも、このゆらぎの難しさを分かっている人の方がスゴいと思う。そのくらい奥深い、自然を見る難しさなんです。
私も、
『オレ的には○○とするけども、どう思う?』
を繰り返して、その度に自分の見解を修正して精度を上げ、個々の植物のゆらぎ幅がずいぶんと分かるようになりました。
…………と思っていても、数年後には「やっぱり分かっていなかった…」とヘコまされるところが、また楽しく奥深いところ。
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