かつて、北海道への移住は海辺から始まりました。
ニシンやイワシ、イカやウニ、アワビやマグロなど、豊富な資源に囲まれていた時代です。
断崖絶壁が続く海岸地域では孤立するかのように集落が点在し、行き来する唯一の道は険しい山道(さんどう)のみ。今では車で10分程度で越えられる峠も、当時は険しい山道を一日がかりで歩いていました。
そんな古道の多くは、今では歩く人もいない獣道になっているところもあります。
冬の間のインプットの時期にワタクシ、そんな道について江戸時代に書かれた文献や資料を読んだり、その町の図書館に行って町史を読んだりしてました。別にツアーを企画しよう、とかいうワケでもなく、単なる個人的興味です。
そして、明治~大正・昭和の地形図と現在の地形図を見比べて道を調べているうちに、いにしえの人々が歩いた道を色々と歩いてみたくなり・・・この日はまずは手ごろな場所へ。
花や山菜採りにはまだ早い時期なので、いるのはクマとシカくらいなもので、誰も歩いていません。
日曜だというのに、一人も出会いませんでした。
カケスがたくさんいたくらい。
現在の国道が出来る数十年前まで使われていた旧国道は林道として残っており、これも知らないとただの林道。
途中、古道を含む森が伐採の憂き目にあっている所も多々ありましたが、旧国道に絡むように江戸時代の道も残ってます。
現国道が下に見えます。いにしえの人々もこんな山々を見ていたのでしょうか・・・
峠に近づくとやっぱり雪!
今日は一人で来たので、ゴールに車を置いておくなんて気の利いたことは出来ず、あまり行き過ぎると引き返すのがタイヘン。ここから先は知った場所なのでまた今度来よう、ということでUターン。
ついでに海岸も行ってみよう、とまた思いつき。
つい40~50年前までここに何世帯もの集落があったとは、知っていないとまったく想像できません。
国立公園などの自然は誰の目にも美しい分、ある意味で分かりやすく守られやすい自然ですが、こんな歴史を含んだ自然は、“知っている”人にしか価値を感じにくい自然の姿です。
一部の物好き(?)な人たちが歩くだけで、地元の歴史保存会のような有志の方々の苦労でなんとか今でも歩ける状態を保っています。
古道の存在を意識することなく無計画に伐採をして明るい森になったら、数年後にはさらに植物が侵入し、ヤブに埋もれて二度と歩けなくなる可能性もあります。
先人たちが色々な思いで歩いた道が、理解されずに埋もれていくことに少々寂しさを感じてしまいました。
現代は自然に立ち向かわなくとも生きていける時代。むしろ深く知り、共存する術を模索する時代。きっと木を伐り尽くさなくてもやっていけるでしょう。
“自然の雰囲気を味わいながら、気軽に楽しく歩ける自然環境を維持する”
という方法も共存のひとつのあり方かと思います。
今となっては一部の人間しか知らず、歩く人が少ないから必要のない道―だから森を丸裸にしてもだれも文句は言わず―、というのも寂しいものです。
ヒガラの声も心なしか寂しげに響いていました。
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コメント
そうですね。平地ではおよそ10月半ばから10月いっぱいくらいが紅葉の時期なので、10月中がいいかもしれませんね。11月だと天気によってはかなり初冬の雰囲気満載で寒いかもしれません。
見られるものは減りますが、秋もいいもんですよ。
北海道の晩秋はいつ頃でしょうか?
こちらですと11月~12月ですが、北海道はもっと早くて10月くらいになるでしょうか?
こんな歩き方こそ、知っているのと知らないのとではまったく違う楽しさを感じられる部分かもしれませんね。思いを馳せて、という自然の見方もいいもんです。
登山などのエリアではなく里なので、虫・ヤブの多くなる真夏よりも、早春や晩秋に歩くのがいいかもしれません。
そんな道を古を想いながら歩いてみたいです。
点在するそこかしこの集落に、人々の倹しい日々の営みがあり、苦しい中にも家族の温もりに満ちた暮らしがあったはずです。なぜその地を離れたのか?と思いをはせてしまいます。
ある家族は希望を抱いて、また別の家族は失意の中を後にしていかざるを得なかったのでしょうね・・・。
北海道の開拓史は私たち現代人の想像を超えた過酷な苦難の歴史ですね。
いつの日か、もう一度北海道を訪ねて、古道が消えて無くなる前に、それらの道を歩いてみたいです!