今まで一面の雪でモノクロの世界だった森の中が、花に彩られてきました。
今のニセコは、春の花の代表格、カタクリがここかしこで咲いています。
“春になった” といっても、まだ森の木々の葉っぱは開いていない、冬枯れの状態。
春の花にとってのチャンスは、まさにそんなタイミングなのです。
というのも、木々の葉っぱが開いてしまうと、春の小さな花々は日陰の中に入ってしまい、
太陽の光を浴びられなくなります。
降り注ぐ光の下、一刻も早く葉を広げ―、花を咲かせ―、受粉をし―、タネを作り―、やることはいっぱい。
だからまさに今の、まだスカスカの森の下で、生き急ぐように一年分の光合成を行ないます。
そして初夏、木々の葉っぱが開く頃になると一年分の活動を終え、
土の中でじっと来春を待つようになります。
そんなことから、「春の儚い命」なんて言われています。
ところで、カタクリの花を下から眺めてみると、花の中にもうひとつ花(?)があります。
これは「蜜標」というもので、ネクターガイドとも言われるモノ。
学校で習った、「虫媒花」って覚えてますか?
雄しべや雌しべの奥に蜜を配置し、蜜を舐めにきた虫の体に花粉をたんまり付け、
他の花へ飛んで行ってもらうことで受粉を行なう花の仕組み。
昆虫に蜜を提供する代わりに受粉を手伝ってもらう、いわゆる “ギブ・アンド・テイク” の関係です。
しかし、葉っぱの開いていない春の早い時期は、受粉を請け負う昆虫たちが少ない時期。
少しでも効率良く虫を寄せるために「蜜への道標」をつけて、 “蜜のありか” を教えているわけです。
とはいっても、植物にとっては蜜を作ることもコストのかかる大きな作業。
やみくもにあげたりはしません。
あまり大量の蜜を提供すると、虫はひとつの花でのお食事で“満足”してしまい、受粉の可能性が下がる。
そこで花は、昆虫にとって丁度いい(?)“不満足”な量を提供し、より多くの花を巡ってもらう巧妙な
仕組みまで備えています。
ちなみにこのカタクリの蜜標、よく見るとひとつひとつ色の濃さや柄(がら)が違います。
蜜標の柄によって、虫の来訪度がどの程度違うのかは、まだよく分かっていないトコロ。
群生する花々を漠然と見るのもキレイですが、そんなコトを知った上で、
ひとつひとつの花を覗き込みながら眺めてみるのもアリですよ。