(今回はワタシ的ガイド論のような話題なので、あまり深く読まずに読み流してください(笑))
リピーターのお客様は知っている人が多いのですが、私には、「ヤブキ用語」や「ヤブキ理論」など、あまり一般的ではない、独自で使っている(使い分けている)言葉があります。
ワタシ的には、
“視界に入れている・目で見ている” のは「見る」、
“視覚以外のあらゆる五感を使って観察したり、引きで見てみたりマクロで見たりする” 見方は、「みる(観る)」
なのです。
当然自然ツアーで提供するのは、「みる(観る)」楽しさですね。
「みる」ことは自分の世界が広がる楽しさがあって、この楽しさを提供するだけでもガイド的ムズカシさがあるのですが、ワタシ的なツアーの目的はまだ先。
実は、「綺麗」と「美しい」もヤブキ用語的に使い分けています。
“あるべきモノ(動植物)が、あるべき環境に、あるべき動植物と共にある” というのは「美しい」自然の姿。
一方で―、
花などが、“(人間の管理などによって)本来の生育地でない環境に、ただたくさん咲いている” といった場所は、「綺麗な」場所であっても「美しい自然」の姿ではありません。
“(人馴れしちゃって)ここに行けば常に出会える鳥” なんてのも、美しい自然の姿ではありません。
「自然が美しい」というのと、「風景・景色・展望が綺麗」というのは、ヤブキ用語的には意味が違ってきます。
たとえ見た目があまり綺麗に見えなくとも、「美しい自然」はあるものです。
何だか細かいハナシですが、お客様に自然を伝えるガイドとしてここを認識できることは大事なことかと思ってます。
自ら自然に足を踏み入れて知ろうとしている馴染みのお客様には、是非ともこの、「みる」行為を通して「美しい自然」を感じて欲しく思ってます。
その上で、正しく自然をみようとする楽しさとムズカシさがお伝えできれば、と思ってます。
この日のお客様は、札幌からわざわざ鳥の観察のために来てくれました。
天気が良く、鳥もじっくりとみて、雑談まじり笑いまじりの楽しい散策でした。
とはいえ、時にキチンと個々を「みて」、「美しい」自然の姿を知り、自然の見方を広げる。
コレ、大事。
鳥や花の名前を決めるだけの作業ではなく、森をみて、個々の植物をみて、地域の歴史までもみて、そんな様々な「みる」行為を通して「美しい場所」に気づき、正しい自然の姿をみようとする行為そのものに、自然ツアーの楽しさがあるのかな、と思います。
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