自然をみる、という授業。終了!

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今日で専門学校の前期授業がすべて終わりました。
最終日は一日野外実習。
相変わらず学生たちと一緒にぶらぶら見て歩いてました。
植物講座を担当しているので、当然、
植物の分類や植物用語について・日本の森林相について―
などを教えなければいけないのですが、野外に出やすい夏の間は、たとえ“ぶらぶら”でも野外を歩いて実際に「みる」ことを大事にしていました。
ちっとも学問的なことを教えてないのです。スイマセン・・・。
自然をみるには、まずは人よりも多く歩いて・実際に対象を見ること。というワタシ的な考えが最優先なのでした。
そして次に、個々の植物や鳥などの自然の事柄をキチンと見て・調べて・知ること。
これには単純に“覚える”という、時によってはとてもメンドーな作業が伴います。
「ガイドは伝えることが仕事なので、図鑑に書いてあることを覚えるよりも、伝える技術を磨くべき」
という意見もありますが、ワタシ的には、ガイドはまずは知る努力をすべきです。
知ったことをどれだけのチカラ加減で「伝える」かは、時と場合によりけり。
たとえ、お客様の前で種名などを言わなかったとしても、ガイドは「知って」いなければいけません。
知っているから、チカラ加減を調整できるのです。
伝えるために、個々の植物を調べて・知り・覚える、という、一見面倒クサイ作業を徹底的にやる必要があるのです。
伝えるという技術を磨くことは、図鑑とにらめっこする面倒な作業を避ける理由にはならないのです。
だけど、ただ個を覚えていくだけでは “英単語帳をめくっている” だけ。
それらの個をみる知識・経験から、そこの地形・環境・周囲の動植物とのつながり、果ては森そのものや地域の歴史などの「全体」を読み取ることが大事です。
そんな、個と全体を行ったり来たりする自然の見方が、「自然をみる」ということだと思ってます。それが楽しい。
木を見ずに森は語れませんし、森を見ずに木は語れません。
ガイドは、これらとは別の土俵で「伝える」というインタープリテーションの技術を磨く必要があるわけです。
ワタシの授業といったら、このような、「自然をみるためにどう勉強し・どうフィールドワークをすべきか?」という授業ばかり。
そんな、かなり分かりにくい授業をずーっとやっているのですが、学生たちはまじめに聞いて、向き合ってくれています。
いつかそんな学生たちが自然の仕事に就いて、一緒に自然についての雑談でもしながら楽しめればいいですね。

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