締め近し

北海道に帰って来ました。
だけど、まだニセコには帰れません。
フェリーで苫小牧に上陸したら、そのまま苫小牧でホテル泊まり。翌日学校に行って、またホテル泊まりで講義をやっています。
なんだかずっと外泊が続いてます。
学校も年内最後の講義となりました。年明けも試験やら卒検発表やら卒業式やらで、残す講義はあと数回しかありません。
8年ほど前に初めて講師の打診を頂いたとき、
「植物の専門家は札幌にヤマほどいるのに、学問として自然を勉強したことのないワタシなんかでいいのでしょうか?」と尋ねたら、
『専門家でなくとも、フィールドを人以上に歩いていて、今現在プロガイドとしてお客さんの前に立っていて、さらに自然ツアーだけを生業として長くやっている人って、ヤブキさんしかいないですから』
なんて、嬉しい評価を頂きました。
それならば…と、
「専門家には出来ない、現場の自然ガイドだから教えられることって何だろう?」
ということを、たくさん考えました。
自分が思う、自然のみる楽しさや難しさ―、自己解決のための方法―、そもそも何のために識別し勉強するのか―、それを”ガイド技術”としてどう伝えるのか―など、2年間の講義(フィールドワーク)の間で学生に出来るだけ感じてもらえるよう、あえて持論展開しまくりの講義をしています。
自然ガイドの技術って他の講義内容と違って絶対的な正解がない部分が多いので、講師が正しいと思っている持論の展開となりがちなのですが、そんな ”正論” とそれを ”仕事として続けるために正論だけでない部分” とのバランス感覚が必要です。そこがムズカシイ。
そこいら、講師の個性を出しすぎているかもしれません……(笑)
これにさらに、ガイド技術としての安全管理やインタープリテーション、プログラムの作成方法まで。
これらの部分は、今までガイド講習会や後輩などに教えることは少なからずありましたが、学校の授業ほど話したことは一度もありません。
通常はさらっと、触りだけ。
(※手を抜いているわけではなく、中途半端になるくらいならあまり深く話さずに一般論を話した方がいい、という判断から)
学校は2年間毎週なので、これが出来ます。しかも評価付き。「評価される」って、とても大事ですから。
なので、唯一のワタシ的ガイド論を展開出来る場になってます。
若かりし頃に、
『自然観察とは理科のためのものではない それは事物に対する態度を養うことである』
なんてことを言われたことがありますが、その頃はさっぱり意味が分からんかったワタシ。
2年間で勉強した知識や技術だけでなく、考え方や姿勢までもが、卒業後の様々な場面で役立つといいのですが―。
そんな期待感とともに、学生に対して自分はそんな手伝いが出来たのか、という責任を改めて感じてしまう年末です。
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