『暖冬などの温暖化の影響で鳥の渡りが早くなっていて、今年は早くもウグイスの初鳴きが確認されました。』
などというニュースを見聞きすることがあります。
それを受けてか、鳥の講習会では同じような質問を受けることがよくあります。
『暖冬の影響で鳥の渡りがどんどん早まっているんですか?』……と。
私自身、20年近くニセコにおける夏鳥の到来(渡り)を記録していますが、確かに初認日がいつもよりも早い年があったりもします。
ただ……だからと言って、このような言葉のニュアンスには違和感を覚えるのですが……今回はそんな所をご紹介します。
渡りのタイミングはどうやって決まる?
鳥の渡りのタイミングは、主に昼夜のバランス(日照時間)を引き金にホルモンが分泌され、「渡り衝動」という行動に繋がって決定されます。
ただし単純に日照時間だけで決まるわけでもなく、一年間の周期を体内時計として持ちそれを調整しているようで、実験的に日照時間を変化させても通常の個体と同じタイミングで渡り衝動が起きる、という研究結果も示されています。
なかなかひとつの理由だけで説明出来るほど単純なことではないし、まだ分かっていないことも多い仕組みなのですが、間違いないことは、渡りを始める時期は気象や気温・そこそのときの状況などの外的要因に関係なく、内的要因から引き起こされるものなのです。
なぜ今年はウグイスが早く聞けたのか?
「じゃなんで今年はウグイスの初鳴きが早かったのさ!」
「暖冬だから渡りが早まったんじゃないの!!」
と言われそうですが……それは観察者の周囲の環境に拠っただけです。
細かい人と嫌われそうですが、決して渡りが早まったわけではありません。
鳥は天気予報だの渡った先での残雪量だのを知りませんから。
ニセコでのウグイスの確認を例にとると……
暖冬であれば全体的な積雪量が少なく、道路脇などの笹藪も早くから立ち上がり出します。ウグイスは笹藪のような環境を好むため、渡っている最中にそのような環境があれば降り立つ個体も増え、そのタイミングで人間がその鳥を観察出来れば「早くにやってきた」と感じるでしょう。
逆に、多雪の年にはやって来ても雪ばかりなんで、上空を通過してしまう個体ばかりとなったり周辺の代替地に行っていたりと、結果的にそこに ”降り立たなかった” というだけで、それを観察者は “まだ来ていない” と感じます。これは渡り自体が遅れているわけではないのです。
渡り自体は数日・数週間に渡って行われるため、その間にその場所の雪が溶けてヤブが出現すれば、 ”そこ” に降り立つ個体や周辺から分散して入ってくる個体も増えるでしょう。
観察者にとってはそのタイミングが初認日となるわけで、それは必ずしも渡りのタイミングとイコールとはなりません。
つまり、渡り自体は種ごとに必ず一定の時期に行われ、そのタイミングで観察者の周辺環境がその鳥にとって適した環境になっているか――が重要なのであって、「渡り」という鳥の生理的システムが変動するわけではありません。
周囲の環境要因によって確認(観察)が前後しているだけであって、渡り自体が前後している訳ではないのです。
このように鳥が進化の過程で得た ”渡り” という生理システムは、ここ数年~数十年程度の環境の変化で変わるほどヤワではありませんが、個体レベルでは環境の変化に合わせてどんどん適応していきそれが分布という形で表れてくる柔軟性も持ち合わせています。かつては冬に見られなかったものが見られるようになることもあります。
※渡り自体をやめて越冬するようになった個体も、様々な種で確認されています。
実際に渡ってくる鳥が遅れた原因のひとつに、その時の気圧配置などの気象条件等によって渡りの途中で足止めを食らった場合、結果的に渡りのピークが数日ズレる、なんてこともよくあることです。
言葉選びの難しさ
ガイドは、自分の発した言葉が相手にどういう印象を与えるか?ということに敏感でなければなりません。
鳥の渡りの仕組みについてこの程度でも知ってみれば、
「今年は暖かい冬だったので、鳥の渡りが早まってますねー」
という言葉は、正確には間違っていると思いませんか?
細かい所ですが、正しく自然を理解する意味では大事です。
こんな言葉を聞けば、「暖冬が続けば鳥の渡りがどんどん早まるんだ」という印象を受ける人もいるでしょう。鳥について知識がまだ浅い人であればなおさらです。
まぁ仮に、「渡り」という鳥の生理的システムを、「人間がその場所で観察出来た日」というとても曖昧なものと同義とするのならば、冒頭のような表現もアリなのかもしれませんが……
「鳥が(観察者の前に)やって来た」ということと、「その鳥の渡りのタイミング」は決して同義ではないのです。
私には冒頭の言葉ような、ある事象や人間の感覚的な経験を自然の壮大な仕組みと結び付けてストーリーを作り上げる、ことに違和感を感じます。『科学と解釈は切り分ける』ということは自然を理解する上で鉄則です。
人間の数十年ぽっちの変化・感覚論・経験則などを遥かに超える、進化の壮大さがそこにはあります。
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