「遊歩道のあり方を考える」

ニセコ駅から歩いてすぐに、小さな公園があります。
その公園では、春になるとカタクリとエゾエンゴサクが見事な群落を作ります。

昨年までこの公園の遊歩道は、自然のままの幅50cm程度の小道だったのですが、所々でぬかるみがあったり、傾斜地があったり、ご年配の方には少々歩きにくい部分もありました。
そのせいで、多くの人がぬかるみを避けて歩き、次第に道が拡がり、道脇の植物(花を咲かせていないカタクリなどの葉)は踏まれてしまう状態でした。
そりゃ、花を咲かせていないカタクリの葉をキチンと見分けながら歩く、なんてことはしないのが普通だろうから、しようがないこと。
こういう問題は、「ここまでアプローチが良く誰でも来られる公園の群落地で、どう遊歩道を管理するのか」という管理側の問題です。
(故意に群落に侵入して踏み荒らしたり、ゴミや盗掘などという利用者側のマナーや意識の問題は、ここでは問題にしません)

そこが今春、遊歩道全面に渡ってウッドチップがひかれていました。
おかげでぬかるみは改善されてどんな靴でも歩きやすくなり、ウッドチップの視覚的効果も手伝って「道」をはっきりと認識出来る分、道を外れる人が少なくなって周囲の植物が踏み荒らされることも減りました。

しかも……改修はそれだけ。(←コレ大事)

柵やロープが巡らせてあるわけではなく、あくまで自然に近い状態で眺められる。その上、いくつかのベンチもあるので、疲れたらそこで休むことも出来る。
とてもいい「観光と保全と管理」のバランスだと感じ、個人的には、カタクリの群落以上に感心しました。
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自然遊歩道には「役割」というものがそれぞれにあります。
この公園のように、駅前の、誰でも行ける公共の場であるのなら、「手付かずの自然」を維持しようとするだけよりも、自然に対する “一定の” 圧をかけて誰でも自然を楽しめる道づくりの視点も必要です。公園である以上、もはや「手付かず」ではないのだし。

しかし、その「一定の」がムズカシイ。管理側のセンスが問われる部分です。
管理が行き過ぎて興ざめ、というのも困ったもの。

一方で、町近くの自然公園なのに、いつまでも倒木ひとつ処理されず、その木を避けるために周囲の植物は踏みつけられ―子供や年配の方は歩けず―木道には一度も掃かれることのない落ち葉のせいで滑って危ない―なんて、何のための遊歩道なのか分からない道もみられます。
管理に資金と労力がかかり、ましてやウッドチップをひくとなると、それなりの資金投入があったはずです。
だけれども自然散策程度では、町にはお金は落ちません。
それでもこのような管理をしていく、という姿勢に、一種の感動すら覚えました。

また、自然を科学的・多角的に見て「いい道」というものもあります。
この日は、そんな道を歩いていました。
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踏み分け道のような小さな道があり、両脇の道端にはあるべき花々が咲き、沢にはあるべきものが―、斜面にもあるべきものがある―という遊歩道。
科学的にキチンと自然を見ても、素晴らしい自然の姿です。本来の自然の姿を想像させます。
(道脇にはオククルマムグラやクルマバソウが群落を作り―)
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(コケイランはそこかしこに)
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(小さな沢には、ウワバミソウとエゾワサビの群落)
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(沢のどの石にも、ナルコスゲがたわわに実る)
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そんな道を、観光客は来なくとも、たまに来る自然好きな人のために地元の人が「少しだけ」歩きやすいように管理してくれている。
「たくさんの人は来なくてもいいけど、楽しめる人が楽しんで下さい」的な雰囲気の道。
一種の自然への愛情すら感じます。
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ビジュアル的な自然景勝地・観光地としての遊歩道には、従来の、数や効率を重視した自然ツアーもアリだと思っています。
そういうニーズもたくさんあるし、誰もが手軽に自然を楽しむ、という側面では重要です。

しかし、「いいバランス感覚で作られた道」や「自然だけでなく、歴史・文化、地元の人々の愛情までも感じられる道」というものは、数や効率を重視した自然ツアーでは、本当の意味での良さは味わえません。

こういう道は、従来の自然観光でよく言われる「いい場所なんだから、ひとりでも多くの人に紹介して…」という目先の安易な理由で、売り込むべきではありません。
20年以上前ならまだしも、これだけ情報が発達した時代では、その考えだけだと危険。
万が一、『絶景広がる自然豊かで静かな自然遊歩道』で売り込んで成功すれば、訪れる人は急激に増え、自然は豊かでなくなり、静かではなくなるわけですから。

今ある遊歩道の役割をきちんと意識し、自然を科学的に見て、あるべき管理のバランスを検討し―、そんなふうな視野で自然の“道”を見て適切な管理をする。
そんな視点を踏まえた上で、自然ガイドはツアーの見どころや内容を正しく設定し、発信し、伝え、利用する必要があります。
そして、そんな視点でも自然を見ようとする人が少しずつ増えていくことで、これらの素晴らしい道がいつまでも素晴らしい道であり続けるよう願っています。

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