一部の人はご存知のように、私、シダ好きでもあります。
シダ植物って、見分けるのが難しい、地味、日陰モノ、とっつきにくい……など、様々なイメージを聞くことがありますが、私はまずその美しさに魅了されました。
かれこれ15年以上経つでしょうか。
東北地方の道もない森の中を歩いている時に、シダ植物が一面に広がる森に出会いました。
思わず足を止め、その美しさに息を呑み、その森の壮大な自然美に圧倒された記憶があります。
当然その頃はそのシダがなんなのか?その周りの木々がなんという木なのか?なんてことはまったく分からなかったのだけど、そんなことはどうでもよく、ただただシダと木々と光が織りなす美しい情景に感動しました。
そしてそれに似た風景を何度か見るにつけ、「そもそもこのシダってなんなの?いつもこの木と一緒にいる気がするけど、そもそもこの木もなんなの?」と思うようになって、 ”植物を見分ける” という世界に首を突っ込みだしたのです。
こうして ”感性” だけで楽しんでいた状態から、”科学” の扉を開いたわけですね。
扉を開いてみたのはいいけれど、当時は北海道に分布するシダ図鑑なんてものはないので日本産のすべてのシダから調べるしかなく、地元によくあるシダの名前を知るだけでも一苦労。なにせシダなんて調べたこともないですから。
調べれば調べるほどよく分からず、生活史や進化の歴史も興味深く、雑種の問題を含めて個性・個体差も様々で分からないことだらけ。名前が決められないことも未だに多くあります。
名前を決められることがすべてでは決してありませんが、科学の入り口は「名前を決められる(違いを認識出来ている)」ということに間違いないので(特にガイドにとっては)、いまだにそこに四苦八苦しているのです。
先日の東北出張で歩いていると、美しいシダの森がありました。
なんか原風景を見た気がして、しばし足を止めていました。
これがなんというシダなのか?今なら分かるのだけど、やっぱりそんなことは気にもせず、気づけばぼーっと眺めるだけ。
こんな、「きれい!」だとか「かわいい!」だとか、「気持ちいい!」などの感性を大事にしましょう。自然の中を歩くきっかけはなんでもいいです。
感性でずっと自然を楽しんでもいいですが、いつか科学の部分にふと興味を持ったなら、ぜひ知の泥沼地獄も楽しみましょう。
そんな泥沼でもがいている人も随時受付中です。
コメント
矢吹さん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ブログいつも拝見しています。気になった記事は何度も見ています。この記事は4回ほど見ました。笑
去年はご一緒することができなくて残念でしたが、今年はぜひよろしくお願いします!引き続き白老でコツコツですがガイド以外の仕事がメインになりますが、自然の勉強を続けていく所存であります。
今後ともよろしくお願いします。
お久しぶりです。コメントありがとう。こちらこそ、今年もよろしくです。
また是非ご参加下さい。いつでもご連絡を。
ブログもたまにチェックしてくれると嬉しい。