コフタバラン

コフタバランという小さな小さなランがいます。

開花した時の背丈は10cm前後で大きくても20cm程度、茎には2mm程度の花がいくつか付き、知らなかったら踏んでしまうようなサイズ感です。

この花、以前からなんだか掴みどころがないように感じていて……

極端にレアという訳ではなく見る時はそこそこの個体数を見るし、生育環境も針葉樹林に多いとはいえ人工林でもOKなので環境的にはそんな森はたくさんある――。
また、山地の森に多いとはいえ登山をするような亜高山にしか生育しない、という訳でもなく、生育環境に行く機会が少ない訳でもなさそう。

だけど「毎年見るか」と言われると数年に一度くらいしか見ることがない。葉だけ、すら見ない。
なんでだろ?

そんな印象。

鳥の世界でも、実際の個体数はそこそこいるのに観察しずらいモノ、というのが多々いて、それは個体数が少ない、という意味のレアとは違います。人間が出会いにくい、というだけ
「自然の実態と人間の観察経験」をごっちゃにしちゃ、イケません。

なので私的には、

「人工の針葉樹林内を歩くことが少ないから見る機会が少ないのかな」

なんて漠然と思ったり、

「実は個体数自体が私が思っている以上に少なく、本当の意味でレアなのか」とか、
「開花(発芽)に年変動があって全く見られない年なんてのがあったり」とか、
「地域(環境)によって開花時期に大きなばらつきがあって、タイミングがハマらないだけなのか」とか……(とはいってもこんな特徴的な葉は、別に花がなくても見つける自信はあるし…)

なんて勝手で自由な仮説を立てるだけで、よく分かりませんでした。
だけどそこに特にこだわることなく、追求も特にせず……。

昨年、とある場所で一生分くらい数のコフタバランを見ました。

5月の上旬には葉も何もなかったのに、5月下旬に再訪すると足の踏み場がないほどに開花していました。
森を替えても、同じタイプの森ならやっぱりいる。「あぁーやっぱり、いる所にはいるよね」
とか言いながら、”花がなくたって、自分は見落とさないな” という実感も改めて確認。

そして、7月半ばにまた行ってみると……実どころか葉すら跡形もない。

これか…と。

コフタバランって、一年の内、地上に顔を出すのは一ヶ月半程度なんでしょうか。
しかも他のランのように、花が終わっても葉だけは残す、ということをしない。
葉がなけりゃ認識しようがありません。葉すら残さないのは知らなかった。

そもそもどこにでもたくさんいるという花ではなく、生育地もそれなりに限られ、しかも小さくて見落としがちで、さらには期間限定もいいとこ。タイミングを外したらまったく認識すら出来ない。
だけどもハマればそれなりにいる。

ここが私の感じていた「掴みどころのなさ」の原因でしょう。

こんな観察の経験値に魅力を感じます。

識別をして名前が決められる、というのもスゴいことですが、識別の先にあるこういう経験値はなかなか真似出来ないし、歩いている証でもあり、見て・気づく目がある証でもあります。
私の周りにいる敬愛する仲間たちは、こんな経験値に基づいた知見の量が豊富なわけで話していて魅力的です。

こんな、普通は誰も気にしない「ふ~ん」と言われちゃうようなフシギが好きです。

私の一度の経験からの観察であり、コフタバランの生活史として必ずしもそうなのか学術的な裏付けは取っていません。地域によって、環境によって、様々な要因で変わることもあるかもしれないし、そもそも私の観察経験自体に何か偶然の要因が働いた、のかもしれません。記事内容を鵜呑みにしないように。

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